
映画作家の長岡参さんから応援メッセージをいただきました。
嘆こうにも拒もうにも現在の世界は「ファスト」なものに覆われている。真新しく簡潔で、すぐに役に立って換金可能な、コスパの良いものをのみ次から次に人は尊んでポチり続け、逆にスローなもの、すぐには役に立たないもの、古めかしいもの、冗長なものは拒絶し罵倒する傾向がある。
なんというか、人は全体的に平板で堅苦しくなり、逸脱を嫌うようになった。「芸術なんてなくても困らない」という言葉には今や相当な市民権があり、もはやコンセンサスに近い。想像してみる。あらゆるタイプの絵画、クラシックやジャズ、ロックやヒップホップ。漫才やエロ。映画。漫画。詩や俳諧、バレエや舞踊。演劇。文学、すべての古典芸能…。それらが存在しない世界とは一体どういう世界か。断言できる。そこはただの無感情な荒野だ。あらゆる「ファスト」は荒地しか残さない。
「芸(藝)」そして、「Culture」とは、双方「農耕技術」や「耕すこと」を語源とする言葉である。「人民を教化する」という意味の中国語〈文化〉が、明治になって「Culture」の訳語にも当てられた事で少々ややこしくなってはいるが、「芸術」という言葉は、技術を原義とする「Art」のそれではなく、「Culture」の訳語にこそ実はふさわしかったはずだった。まさに荒地を耕し種を蒔いて作物を育てるように、人々の心を涵養するものこそが「文化/藝」であるのだ。そしてそれは人が人であるためのほとんど最後の牙城でもある。それは誰かの特権などでは決してない。馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しいほど、くだらなければくだらないほどいい。不真面目、逸脱、冗長、大いに結構。しかし前衛や即興だけに留まってはならない。これまでの世界に残されたありとあらゆるものをまず知り、愛する必要がある。そしてあらゆるフェイクを見抜き、広い振れ幅を獲得する必要もある。
この徳島県で数人しかいない映画監督の一人として、これまでほとんど荒地であったかもしれない場所に作られるという新しい「文化/藝」の拠点から、幾多の「種」が蒔かれていく事を期待せずにはいられない。そしてこの荒地を平然と淘汰していくような新しい世代の誕生を切に願うのである。
長岡 参
映画作家。株式会社エヴォリューション取締役。
1979年、千葉県四街道市生まれ。東京でフリーランスとして、様々な自主映画のカメラ・照明・美術スタッフ、映像ワークショップの主催、伝統工芸の紙加工職人の弟子、NPOのアートディレクター、シェアハウスの立ち上げや運営、環境系映像会社のクリエイティブディレクター等として働く。
2010年徳島県神山町へ移住。"長岡活動寫眞"を立ち上げ独立。2017年3月より両親を呼び寄せ佐那河内村の山の上に居を移す。四国を拠点に全国を回りながらドキュメンタリー映像、広告映像を広く制作している。
このプロジェクトはオールイン型ですので、目標金額の達成状況によらず支援が実施されます。
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