阿波市では、三木元首相の実家跡をおもてなし公園として整備を進めています。
私たちは、その公園内に三木武夫の功績を偲ぶ記念碑を建立するための資金を集めるため、クラウドファンディングに挑戦しています。
数年前、三木家より実家跡地を阿波市に寄贈したいとの申し出がありました。
阿波市は平成30年に「阿波市に役立ててほしい」との三木家の意向を踏まえ、この場所を公園にする事を決定しました。
この公園は、場所がお遍路道沿いにあり内外の交流拠点になってもらいたいとの思いから「おもてなし公園」と命名され現在建設が始まっています。
三木武夫記念碑制作委員会
初めまして、阿波市議会議員の樫原と申します。
土成町御所に生まれ育った私にとって、三木元首相は郷土の偉人であり、大学の大先輩、就職してからも薫陶を受けた国会議員であることなどから、この公園にその功績を偲ぶ空間を作る為に記念碑制作委員会を立ち上げ、事務局を買って出ました。
そして、国の発展に尽力した一人の政治家を偲び、その足跡を後世に伝えるための記念碑を建立するために活動をしています。
私たちは、この公園がお遍路などで訪れる国内外の方々にも三木元首相の足跡とその精神に触れられる場所とし、地域活性化につなげたいと思っています。
阿波市から公園の一角(約50平方メートル)を提供していただき、地元自治体など関係団体、三木家の親戚を中心とした地元有志で「三木武夫記念碑制作委員会」を立ち上げ、記念碑建立の準備を進めています。
当委員会としては、徳島の片田舎から内閣総理大臣が生まれ、その実家のあった場所、政治家として出発の地でもあった場所に記念碑を建立することで、地域の人々や未来を担う子供たちに大きな夢を与えたいと考えています。
また「議会の子」「クリーン三木」として知られた、その稀有な政治家としての足跡と精神に触れられる場所として、国内外のたくさんの人々に訪れてもらえる場所にしたいという思いで顕彰事業に取り組んでいます。
三木元首相について
三木元首相は1907年に御所村(現 徳島市阿波市土成町)に生れました。
1937年、第20回衆院選に全国最年少で当選。以降、連続19回の当選を果たしています。
その間、数々の党の要職や大臣を歴任し、1974年には第66代内閣総理大臣に就任。
「議会の子」、「クリーン宰相」と呼ばれ、政治倫理の確立や政治の近代化にも取り組んでいました。
「無信不立」と政治浄化を説いた三木元首相の教えは、混迷する現在の政治に対しても通ずるものがあります。
私が大学4年生の時(昭和51年三木元首相が第66代内閣総理大臣に就任した年)就職のお願いに菓子折りを持って南平台の自宅に行きました。
先生は超多忙で不在でしたが、代わりに迎えてくれた睦子夫人から叱責?されました。
「学生の分際でこんな手土産なんか持ってくるんじゃない!貴方が一生懸命働いて出世したら持ってらっしゃい!」
心地よいほろ苦さを感じた思い出です。
その後、私が就職した会社には明治大学卒業生が10人以上も在職していたため、三木元首相も帰省の折、会食の機会を持ってくれていました。
その時、よくおっしゃっていたのが、「君たち!若いうちに海外に行きなさい。」就職したばかりで薄給の身の自分が行けるはずがないにもかかわらず、そんなことお構いなしで「海外に行って見聞を広げなさい!」と、よく言われました。
もうひとつ感心させられたことは、出されたお料理はすべて召し上がっていたこと。
その食欲旺盛さに圧倒されました。
同席した誰もがそのように言っていました。
政治不信が叫ばれる今日、政治浄化に取り組んだ政治家、その三木元首相の思想や信条は今も色あせていないことを多くの人に再認識してもらいたい思いがあります。
昨年1月に三木家の解体が報道されました。
その記事を見た方が東京から三木元首相の実家を見に来られました。
その際に、この地に三木元首相の実家があった、ゆかりの地であることを後世に伝えるべきとの思いがいっそう膨らみました。
記念碑のデザインについては、しかるべき委託先を検討していたところ、国立阿南工業高等専門学校(略称 阿南高専)の先生から建築専攻の学生たちに地域貢献の意義も込めて制作させたいとの提案があり、委員会では全員異議なしで承認しました。
この事業を通じ、はからずも三木元首相が阿南高専の創設にも深く関わっていた事実が判明し、三木元首相と阿南高専との縁を感じています。
学生達による記念碑のデザイン提案
デザイン制作を担当した4人の学生は19歳前後ということでということで全員、三木元首相を知らない年代でした。
彼らはデザイン作成に当たり、人々や地域の中に残る三木武夫像やイメージを反映させるべく、オーラルヒストリーの収録と共起度分析の手法に取り組んでくれました。
夏休み期間中、地元の人々に三木元首相がどんな人だったかや自身にとってどんな存在だったかを聞き取ったりエピソードを収集したり、アンケート調査を丁寧に行ったほか、明治大学で三木元首相を研究している竹内助教授の講義も受けることで、地方から見た三木元首相、中央から見た三木元首相について掘り起こしてくれました。
地元の人々への聞き取り調査では、阿南からの来報で時間が限られている中、少しでも話を聞こうと最後まで聞き取りをしていたのが印象的でした。
学生たちはおばあちゃんのそばに寄って、丁寧に話を聞いていました。
汽車の時間に間に合わず、車で送迎したこともありました。
それらの活動から得たイメージをデザインに生かし、三木元首相の心情である“人 信無くば立たず”の文字を刻み、人の字をかたどった姿に作りあげました。
また、その過程で浮かび上がったキーワードが「クリーンな政治家」と「土成中学校の校歌」でした。
後者の校歌は、三木元首相が自民党政調会長として超多忙な中、子どもたちが世界に羽ばたいてほしいとの想いを込め書き上げ、同じ明治大学マンドリンクラブ創始者の古賀政男に作曲を依頼して出来上がったものです。
これについても何とか記念碑に彫り込めないかと模索したのですが、歌詞すべての記載は難しいため、学生の提案で記念碑QRコードを付けて関連データを読みこめる形にすることになりました。
これにより、この地を訪れた人、特に若者や外国人がスマートフォンで三木元首相の足跡を見たり国会での演説、土成中学校校歌の演奏を聞くことができる様になる予定です。
ご支援のお願い
徳島県が生んだ初の宰相とはいえ、没30年、三木元首相を知らない学生が、様々な角度から学び、デザイン性、公共性、経済性をも考慮して熱心に制作に関わってくれました。
このことを多くに人に知ってもらいたいという思いも新たに生まれました。
実家の基礎石を取り置きしていたものを記念碑の土台にしていることで、実際に使われていた素材を再利用する事で三木武夫本人の足蹠が感じられるものとなっていると感じます。
三木元首相には阿波市内や近畿にとどまらず、市外、県外にもたくさんの関係者が存在します。
記念碑制作においては、全国、世界に広く呼びかけ、三木元首相に関わった多くの方々にその志を寄せていただき、ぜひ一緒にこのプロジェクトを実現したいと考えています。
今のところ概算で記念碑の製作費が約230万円、QRコード用データ維持管理費、印刷費、除幕式などの経費約20万円が必要となる予定です。
3月17日が三木元首相の誕生日ということでその日に合わせて除幕式を計画。
式典に向け準備をしています。
この除幕式終了後に委員会を開き、記念碑の寄贈、協賛金の清算などを協議する予定です。
清廉さ、挑戦する勇気を大切にした「三木の精神」に立ち返り、これらを学び、未来に伝える意味があると感じてもらえる皆様方と一緒に、このプロジェクトを実現したいと思っています。
どうか、ご支援をよろしくお願いいたします。
これまでの経緯
挑戦者の自己紹介
樫原 伸
所属:三木武夫記念碑制作委員会
一人っ子で育ち、ひ弱な性格が大学生活で一変。
それまでの世界観が大きく変わりました。
学費と生活費のためのアルバイトを続け、相手の立場に立って行動する事が大切だと身をもって感じました。
思いやりのある男でありたいと思っています。
34年間勤めた会社を退職、政治を勉強したく市議会議員に立候補、街宣活動では三木元首相の政治信条「人信なくば立たず」をフレーズに使わせてもらいました。
夢が持てる、夢を語れる、夢が実現できるまちの創造にむけて議員活動を続けています。
経歴
昭和28年7月17日生まれ
昭和51年 明治大学商学部卒業
昭和51年 全国農業協同組合入会(34年間勤務)
平成22年 阿波市議会議員
現在3期目